こんにちは。
外資系の療育機関で子どものサポートをしている、作業療法士のゆこです。
あるインスタグラムの投稿で「普通とは何ですか?」という問いを見かけました。
そして友人とも「普通って何?」「みんなって誰?」という話をしました。
「普通はこうするよね」という時の普通は、大多数Majorityを指すのだと思います。
私のイメージは、90%。9割の人がそうやっていることは「普通」と表現しているかな。
でもその対象の集団は異なって、小学生の普通と大学生の普通は違う。
日本人の普通とアメリカ人の普通は違う。
年齢によっても違うし、性別によっても違う。
なので「普通こうするよね」という言葉は、例えば、
「日本人の女性のこの年齢層の90%ぐらいは」こうするよね、ということなんだと思います。
だいぶ響きが違いますね。
そして、また「普通」はその人の中の何パーセントぐらいを示しているか、という視点もあります。
見えている人にとっては、見えることが普通。
見えない人にとっては、見えないことが普通。
だから、私にとってと、あなたにとっての「普通」は同じこともあるし、違うこともある。
そして、その「普通」のちがいが「障がい」になるのだと思います。
決して、だれかが「障がい」を持っているわけではなくて、普通のちがいによって何かにアクセスしづらくなるときに
その壁を「障がい」と呼ぶんだと思っています。
もしこの世の人が、みんな車椅子に乗って生活しないといけないとしたら。
世界の環境のすべては車いす用に整えられて、何の不自由もなく、車いすに乗っていることは「障がい」ではなくなる。
うまく説明できないけれど・・・
障がい者、と呼ぶとその人が障がいを持っているような感じだけれど、
「必要なことにアクセスするのに障がいがある」状態の人、と翻訳したらいいのだろうか・・・
そう、この手のことばには「翻訳」が必要なんだな。
普通とか、みんなとか、障がいとか、簡単なのですぐ使ってしまいがちだけれど、
よく考えて使いたいなと思います。
そしてまだまだ自分の、この世の「普通」を子どもに押し付けがちなので、もっと客観的に、
むしろ相手の立場に立って、物ごとを見る力をつけていきたいです。
以上、読んでくださりありがとうございました!
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