話すことと、コミュニケーションすることとは別の話

こんにちは。
外資系の療育機関で子どものサポートをしている、作業療法士のゆこです。

「ことば」と「コミュニケーション」について、考えたこと。

自身が学生の時も、評価項目にこの二つがありましたが、違いがいまいちわかっていませんでした。
いっしょでしょ。そう思う人は、多いと思います。

でも、ことば、つまり言語機能、言葉を話すことと、人との交流をすることは別の話。

別の話とはいえ、密接な関係があるのは事実です。
コミュニケーションのひとつの手段が、言語だから。
「ことば」というツールを使って、私たちは人とコミュニケーションをとっています。
でも、ことばだけがコミュニケーションのツールかといわれると違う。

生まれたての赤ちゃんは、ことばはしゃべれないけれど、お母さんとのコミュニケーションをとっている。
まだ十分におしゃべりのできない幼児どうしがいっしょに遊んでいる。
話さなくても、いっしょにいるだけでいい、という人もいる。
使っている言語が異なっていても、スポーツで対戦している。

というわけで、「ことば」はコミュニケーションにおける重要なツールでありつつ、すべてではないということです。

そして「ことば」はただのツールというわけでもない。使う者同士の間での共通理解が必要なものでもあります。

「りんご」という一つのことばをとっても、ある人は赤いリンゴ、ある人は緑のリンゴを思い浮かべるかもしれません。
「うさぎ」と聞いても、イメージする大きさや、色は違う。ホンモノのうさぎでなく、イラストを思い浮かべる人もいるかもしれない。

なので、ことばを使う者同士が、同じ共通理解や理念、概念のもとにそのことばを使うことでコミュニケーションが成立するともいえます。
そしてこのことばの習得は、ことばを用いるひとの経験に基づくものでもあります。特に母語に関してはそうなのかな。

そういうわけで、何が言いたいかというと、
ことばの習得や発達と、英語の学習は異なる、ということ。

ものすごく「英語教育」を推す、幼稚園や教育ツールが多い現在。
十分に気をつける必要があると思っています。

ことばが、ちゃんと心や体の発達に即したものであるか?
コミュニケーションの基礎である、人への関心が育っているのか?
自己の理解や、自我の確立はどうなっているのか?
ことばだけが先行していないか?

そして、個人的には日本で生きていく日本人なら、日本語の習得は不可欠と思っています。
うわべだけでなく、日本の文化を理解した上での日本語の理解や、日本語でのコミュニケーションができるということは、日本で生きていくなら不可欠です。

もちろん、英語を学習している者として、英語の方が楽だなあとか、文法が整理されているなあとか思うこともたくさんあります。
でも、それ以上に、同じ英語でもアメリカとカナダとイギリスでは違うし、いつその言葉を使うのかということを考えると、ことばだけでなくそれぞれの地の文化を知らないと本当の意味での英語は使えない、といつも思います。

ツールとしての英語は、大人になってからも学べます。
ただのツールではない、コミュニケーションとしての手段としての言語を身につけてほしいな。

そのためには、アカデミックなことだけでなく、ちゃんと心とからだと脳の発達が必要。
一番外側に見えている「言語」にフォーカスしてしまいがちな現代社会ですが、言語のベースとなるもの、感覚、知覚、認知、という段階にしっかりと目を向ける必要があるなと考えています。

以上、読んでくださりありがとうございました!

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