こんにちは。
外資系の療育機関で子どものサポートをしている、作業療法士のゆこです。
とあるドラマで手話が人気なようですね(私は見ていない・・・)。
こんなニュースを見かけました。
【会話が通じない】「日本手話」で学ぶことができず…ろう学校の児童 札幌地裁で初弁論
このニュースで、日本で使われている手話には「日本手話」と「日本語対応手話」があることを知りました。
「日本語対応手話」は、日本語のしゃべり言葉に、手話で単語を当てはめる手話。
「日本手話」は、単語は同じであれこそ、文法が全く違う。
「日本手話」の方が、ろう者のコミュニティの中では使われてきた伝統的なものだそうです。
視線の向きとか、表情とか、手を動かすスピードや大きさによっても意味を持つそう。
一方で、聴者が学ぶ手話は「日本語対応手話」がほとんどだそう。
まあそれはそうですよね。手の動きに置き換えていけばよいわけですから。
このニュースについてとやかくいいたいわけではないのですが・・・。
入学する側が求める者と、受け入れる側が与えられるもの。
そのギャップが大きいと、とても大変。お互い歩み寄る必要もあるし、妥協も必要な気がします。
この子が学校に行けなくなる前に何かできなかったのかな…
手話以外のコミュニケーション方法だってあるわけで、工夫はいくらでもできたと思います。
お互いにね。
そうなると、この話は「手話云々」の問題ではない気もする。
手話もそうなんですが、マカトンサインというものもあります。
こちらは、イギリス発祥らしく、知的な遅れがあるお子さんが使っていることが多い。
私も、ダウン症のお子さんなど、聞こえるけど発語がゆっくりなお子さんとのコミュニケーションに使ったことがありますが、
これはサイン自体は簡単だけど、関連がないので覚えるのが大変。
これも違う言語。
でもって、各国のことばにも手話がある。
各言語に手話があると考えたら、ものすごい数になります。
でも、おおもとを考えると、ことばは「コミュニケーション」のツール。
相手とコミュニケーションをとりたい!(または取る必要がある)と思うかどうかがまず最初に来るはず。
どのことばを使うかはその次。
「ことば」という表面的な部分だけでなく、その目的も考える必要があるな、と思いました。
おわり。
以上、読んでくださりありがとうございました!
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